2016/06/01

図解 尖閣諸島領有権問題 

2015/10/04

図解 北方領土問題

詳細は、当ブログ記事「北方領土問題」参照

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2014/11/22

中国漁船サンゴ密漁-2

中国政府も取り締まりに本腰を入れる可能性が出てきたようだ。しかし、密漁船は、(船番偽装・海上取引など)マフィア的で知能犯的動きをしているとされている。違法漁船に対しては、あくまでも、現場で取り押さえることが最も効果的である。

「数隻の巡視船で200隻の違法漁船を取り締まり、拿捕する都度、本土の基地まで1隻ずつ連行する」ようなことをしていては、とてもではないが対応できない。

サンゴ密漁に限らず、違法な漁船集団を取り締まるための「技術開発」が行われているのであろうか。寡聞にして知らない。

違法行為を行う漁船集団が出現した場合には、非常事態宣言を行い、以下に示すような方法で徹底的に取り締まるべきである。

漁船集団を取り締まるには、(巡視船のほか)航空機の活用が不可欠である。

ヘリ搭載巡視船・長時間滞空できる哨戒機・将来的には数十時間滞空可能な無人偵察攻撃機・など

(前回記事で述べたように、)違法状況を撮影して証拠を固めると同時に、リアルタイムで世界に発信する。中国はメンツにこだわるから相当有効なはず。

また、次のような武器を開発・装備し、航空機や巡視船から違法漁船に対して使用すれば、効率的な取り締まりが可能となる。

1.スクリューを無効化させる誘導魚雷

2.船体に対し「沈没に至らないが上部構造を破壊できるなど適度の打撃」を与える(気楽に使える)大口径ゴム弾

3.違法操業・逃走・抵抗する船員に対して発射する小口径ゴム弾(世界ではすでに暴徒鎮圧用として実用化されている)。

鉄棒などを振り回して抵抗する漁船員と格闘する危険を冒す必要などない。ゴム弾で鎮圧できる。


拿捕した漁船は、その都度連行などせず(現状維持の処置を取ったうえで)すべての拿捕が終わるまで現場に停船させ(そのための技術開発が必要か?)、「すべての違法漁船拿捕」を優先すべきである。



このような厳しい取り締まりが行われ始めたら、ほとんどの漁船は恐れをなして退去するのではないか。

旧態依然とした取り締まりから早く脱皮してもらいたいものである。
2014/11/08

中国漁船サンゴ密漁

中国漁船によるサンゴ密漁のニュースがたびたび報道されている。
小笠原諸島周辺へ大船団で押しかけ、サンゴを根こそぎ密漁する中国漁船のニュースを見るたび、中国の厚かましさと取り締まりの困難さに正直言ってイライラする。

相当以前から言われていたことではあるが、漁業・領土問題を問わず、中国の漁船が大量に押し寄せてきたらどうするのか有効な対策ができていない。

200隻もの大船団で巡視船の目前で公然と密漁を行えば、同じ密漁でも、1隻2隻の密かな密漁とは性質の違う犯罪であり、窃盗より強盗に近い。

「量的変化は質的変化を生ずる」

「巡視船が現行犯を追跡して拿捕」では間に合わない。現行犯が逃走・抵抗した場合には、船体射撃くらい行ってしかるべきだと思う(法的に可能かどうか不明)。日本の権益が公然と侵害されているのである。専守防衛の一環と言えなくもない。

ロシアなら、機関銃をぶっ放すところだろう。以前、違法漁船にロシア警備隊が発砲し死亡者が出たことがあるが、中国政府は文句を言わなかった。

韓国の排他的経済水域で中国漁船が違法操業し、取り締まりの海洋警察に抵抗し、漁民が一人海へ落ちて死亡したことがあった。中国では抗議デモがあり損害賠償要求するという話も報道されていた。結末は記憶にないが、ロシアと違って国力が弱くてなめられたのか。この件では、米韓同盟は役に立たなかったようだ。

警察の背後に、「(専守防衛であったとしても)強力な軍事力と、それを行使する強い意志」が不可欠ということだろう。

日本も、北朝鮮工作船撃沈事件のあと、(火薬を含まぬ)鉄の砲弾による船体射撃など、対策が講じられてきたはず。

ただし、日本がやりたいことをやりたければ、「靖国参拝」や「侵略の定義未定発言」などやっていてはいけない。



厳しい取り締まりも大事だが、今、決定的に必要なのは、(無人機を含む)航空機と映像である。ヘリを搭載した巡視船の派遣が急務である。自衛隊の偵察機や哨戒機は出動できないのか。

ヘリや偵察機などで(将来的には無人偵察機で)、個別漁船を識別し、違法行為を撮影し、リアルタイムで世界へ動画を発信する。(中国政府も、メンツは気にするらしい。)

次に、写真を根拠に順次拿捕する。逃走・抵抗すれば船体射撃する。その時に拿捕できなくても、次回日本へ接近した時に拿捕する根拠に使える。

密漁漁船も、作業中、たびたび偵察機が飛んできて撮影されるとなれば、おちおち網を引っ張っておれなくなる。



中国政府が「サンゴは保護する。日本と協力する」と言っているらしい。

もし、中国政府に取り締まる気があるなら、やることはある。

先ず、「帰港したら船内捜索をやり、サンゴを没収し厳重に処罰する。航空機による証拠写真は確保する。」とラジオ放送などで漁船に対し通報する。

日本の協力を得て、航空機による「各漁船別の密漁の証拠写真」を確保する。

儲からないと判れば、密漁船は、即時密漁を停止して帰港するはずである。途中で、サンゴを別の船に積み替えるとか別の港へ立ち寄るなどの監視も必要だが、証拠写真があれば検挙できる。

「中国警察は腐敗しているからあてにならない」と言えばそれまでだが、やってみる価値はある。
2014/10/25

要約「昭和天皇の戦争責任」-4

2014年8月21日、宮内庁は、24年かけて完成した「昭和天皇実録」を、天皇・皇后に奉呈(献上)した。

テレビでも、これに関する番組が幾つも組まれた。これらの番組を見て、「今まで天皇に抱いていたイメージ」を再検討する必要を感じた。

それは、憲法に基づく権限を行使する(or行使できたはずの)カリスマ的天皇のイメージに対し、(特に満州事変後、力を付けた)軍部に表面上はともかく無視乃至軽視された天皇のイメージである。

満州事変後、国民の熱狂的支持もあって自信を付けた軍部は、平和主義・国際協調主義の天皇を愚昧な天皇だと見ていた。
そして、天皇は道具(天皇機関説ならぬ道具説)であり、どうにでもなると考えていた。


天皇の戦争責任の問われ方も違ってくる可能性があると考えた。

先ず、あるTV番組における「昭和天皇実録」に関する専門家の発言を紹介する。

BSフジ プライムニュース 2014/9/9 20:00~22:00
「昭和天皇実録公開・・昭和天皇の真意に迫る」
秦郁彦 :現代史家
山内昌之:東大名誉教授

秦: 
満州事変当時関東軍司令官だった本庄繁が侍従武官長に就任した。これも、天皇を愚弄する人事だった。天皇はこれを非常に不愉快に思っていたが、本庄も天皇を愚昧な天皇とみていた
天皇は、軍の持ってきた人事案を受け入れるしかない。それほどまでに、満州事変以降、軍の力が大きくなっていた。
2・26事件の時、本庄侍従武官長に対し「軍上層部へ反乱軍討伐を督促せよ」と命じたが、繰り返し繰り返し握りつぶし続けた。本庄自身は、「天皇の間違った考えを身を挺して防ごうとした」と思っていた。

山内:
これは本庄に限らず、軍内部の下剋上的雰囲気のなかで、天皇に対する尊敬や忠義が失われ、表だって口にはできないが、ないがしろにする雰囲気があった。。

秦:
天皇から「お前の言うことはさっぱりわからん」と叱責された杉山参謀総長の場合、退席後、随行する瀬島参謀に「今日も、天ちゃんにやられたよ」と愚痴をこぼしていた。
次は良くなるかというとそんなことは無く、天皇に叱責されても、一晩寝たら何とかなるという程度にしか考えていなかった。天皇を愚弄していた。

山内:
軍がいかに天皇をないがしろにしていたか、今回「実録」を見て改めて思った。
視聴者からの質問
天皇は自分の意思で命令できなかったのか。

秦:
天皇にはスタッフがいない。軍から案が出てくるのを待って承認するしかない状態だった。気に入らない場合、承認せず放置する。

ブログ主催者注:スタッフがいなくても「却下したり修正させる」ことはできたはず。



秦:
天皇の許可もなく満州事変を主導した石原莞爾を中将・師団長に昇進させる人事案が提出された時、天皇は、不同意の意思表示で放置した。1週間すると(天皇が不同意だと判っていながら、)同じ人事案を提出する。3回目になって天皇はしぶしぶ承認したという。(そのため、石原の昇格は3週間遅れた。)完全に天皇をなめた行為であった。

山内:
天皇は、立憲君主として下から上がってきたものは認めるという立場を取ろうとした。
ブログ主催者注:しかし、天皇は、軍の最高指揮官である大元帥として指揮命令する立場であるから、軍事に関しては、「下から上がってきたものはすべて認める」という考えは明治憲法上は不適切でないかと思う。

秦:
大本営政府連絡会議や御前会議に先立って天皇への説明が行われ納得して頂いていた。

島田アナ:
天皇が納得していない場合もあるが、

秦:
納得せざるを得ないというか納得させられてしまうというか・・・・・


満州事変で国民の軍部への支持・期待は盛り上がり、軍が権力を握るようになる


以上の情報から、難しい状況はあったとしても、少なくとも天皇にできたはずのこと(天皇の手落ち)として次のような点があげられると考えた。

天皇が、張作霖爆殺事件の段階で、「断固たる処置を取り、河本大作を軍法会議で厳罰に処する」ことをできなかったことが、その後、満州事変以降の軍の独走エスカレートを許すことになった。

その後でも、せめて「陸軍警報違反の満州事変」成功以前(満州事変初期)に首謀者を処罰させていれば、軍の独走にブレーキをかけることができたかもしれない。

それは、(日本の中では比較的平和主義的かつ国際協調主義的傾向の)天皇が、軍に対する権威を保ち、軍を掌握することを可能にし、ひいては、侵略戦争にブレーキをかけることを可能にしたはずである。




それにしても、天皇は、部下の進言を待って、それを認めるしかない状態にあったのであろうか。
「軍が力を付けた満州事変」の5年後に発生した2・26事件の場合を考えてみる。

反乱部隊を支持する皇道派が軍の中枢に存在(川島陸相・香椎戒厳司令官・本庄侍従武官長)し、初日には蹶起部隊の行動を支持する「陸軍大臣告示」が蹶起部隊に伝えられた。

「陸軍大臣告示」
一、蹶起の趣旨については天聴に達せられあり。
二、.諸子のの行動は国体顕現のの至情に基づくものと認む・・・・・

しかし、反乱軍は激怒する天皇の支持を得られず、天皇が断固たる決意で鎮圧を命令し、「蹶起部隊を反乱軍として鎮圧せよ」との奉勅命令が発出され、事件は失敗に終わっている。


「軍が力を付けた満州事変」の後でも、(蹶起部隊を支持する陸軍大臣告示が発出された後であっても)天皇が本気になったら、軍は命令に従うしかなかったのである。

参考:ウイキペディア「2・26事件」より抜粋

2月26日
午前9時、川島陸相が天皇に拝謁し、反乱軍の「蹶起趣意書」を読み上げて状況を説明した。事件が発生して恐懼に堪えないとかしこまる川島に対し、天皇は「なにゆえそのようなもの(蹶起趣意書)を読み聞かせるのか」「速ニ事件ヲ鎮圧」[27][注釈 18]せよと命じた。

2月27日
侍従武官長は決起した将校の精神だけでも何とか認めてもらいたいと天皇に奏上したが、これに対して天皇は「自分が頼みとする大臣達を殺すとは。こんな凶暴な将校共に赦しを与える必要などない」[31]と一蹴した。

午後0時45分に拝謁に訪れた川島陸相に対して天皇は、「私が最も頼みとする大臣達を悉く倒すとは、真綿で我が首を締めるに等しい行為だ」

「陸軍が躊躇するなら、私自身が直接近衛師団を率いて叛乱部隊の鎮圧に当たる」とすさまじい言葉で意志を表明し、暴徒徹底鎮圧の指示を伝達した。

2014/09/27

要約「有り得なかった?『ロシアによる日本列島侵略』」 改

1.前書き

「近代日本の戦争は、自存自衛の戦争だった。あの時代、ほかにどのような選択肢がありえたのか?」とする説があります。

「自存自衛」が「日本列島防衛だけ」をさすとは言えませんが、「日本列島そのものが侵略を受ける可能性」が、どの程度有ったのかを確かめることは、「自存自衛」説の適否を考える場合の基本的要件であると思います。

近代日本において、ほぼ一貫して仮想敵国であり続けたロシアの場合について考えてみました。


・侵略の可能性の有無が明確になった場合のメリットは、次の通りです。

将来的に侵略があると判断すれば最適の時期に戦わざるを得ませんが、侵略の可能性が無いと判れば、戦争以外の選択肢もありうると言えます。 

侵略は無いが、朝鮮・満州・中国北部での経済活動が制約されるという場合、
『「国の存亡・多数の戦死傷者・返済困難な莫大な戦費」というリスクを犯してまで戦うべきでない、戦わないほうがメリットが大きい』という判断もありえます。


・「ロシア帝国による侵略の可能性」の有無の判断基準

ロシア帝国の指導者層(皇帝・重臣・戦争計画立案者)が、日本を侵略対象としていた(or侵略不可能と判断していた)かどうか。

主な重臣:
セルゲイ・ヴィッテ:蔵相・ポーツマス会議ロシア側全権・首相
エヴゲーニイ・アレクセーエフ:太平洋艦隊司令長官・極東総督
アレクセイ・クロパトキン:陸相・満州軍総司令官
アレクサンドル・ベゾブラゾフ:宮廷顧問官


・この記事における定義

侵略  :植民地獲得を目的とする軍事占領。

日本列島:本州・北海道・四国・九州・南西諸島・千島列島・小笠原諸島・壱岐対馬・その他周辺島嶼。日清戦争直前の日本領土。



・結論的には、

「ロシアにとって、日本列島を侵略することは、中国・朝鮮を侵略するのに比べ、リスクが大きく、メリットは小さかった」「近代において、日本列島がロシアに侵略される可能性は、(殆ど)無かった。」と判断しました。

その判断は、「ロシア帝国・ソ連」いずれの体制の場合でも変わりません。



2.日本列島そのものが、ロシア帝国によって侵略される可能性について


2-1 「前書き」で、「ロシア帝国(以下、ロシア)にとって、日本列島を侵略する場合、リスクが大きく、メリットは少なかった」と述べましたが、理由は、次の通りです。

①不凍港の確保

ロシアが南下政策を取り長年求め続けた「不凍港」は中国・朝鮮などヨーロッパロシアから陸続きで到達できるユーラシア大陸でなければ無意味であり、海の向こうの日本列島では無意味です。

②中国と日本の侵略の難易比較

ロシアと陸続きで延々と広がる大平原、近代化の遅れた軍隊など、ロシアにとって(日本への侵略に比べて)中国への侵略のほうが、はるかに容易であると考えられたはずです。

③日本侵略の難易

ヨーロッパロシアから極めて遠く、しかも海の向こうの、「自国の地理を熟知した近代型軍隊」で防衛された「(山地・水田の多い)日本列島」に対し、侵攻作戦を行うことは、極めてリスクが大きく、困難だったと考えられます。

シベリア鉄道開通の9年前(1894年)、(日本が、まだ強国とは見なされない)日清戦争の段階でも、日本には、ドイツ式の訓練を受けた陸軍が戦時動員で24万人存在しました。

④列強の状況

ロシアが日本列島への侵攻作戦を行おうとする場合、中国南部に権益を有し対露防衛に苦慮するイギリスが、この作戦(と、その結果)を無視するとは考え難いと言えます。

ロシアとしては、イギリスに政治的・軍事的に妨害・介入される可能性も覚悟しなければならなかったと言えないでしょうか。

ロシアに日本を侵略された場合、イギリスとしては、「日本と連携してロシアを牽制」する可能性を失い、ロシアに九州を海軍基地として利用されたら、イギリスの権益を守る東洋艦隊は大きく圧迫されることになると考えられます。

ロシアの資金調達先であるフランスは、満州は別として、リスクの大きい日本侵略にまでロシアがのめりこむのを(その結果、ドイツへの両面作戦がおろそかになるので)、「支持し融資」するのを渋ったのではないかと想像されます。




2-2 ロシアを取り巻く環境

ロシアと陸続きのユーラシア大陸には、「ドイツ・オーストリアハンガリー帝国・ルーマニア・トルコ・ペルシャ・アフガニスタン・インド・チベット・中国・朝鮮」等、ロシアが防衛・侵略の対象とする隣接地域は多数存在しました。 

したがって、「(極東ロシアに隣接し、その発展に重要な関わりを持つ)中国北部・韓国」への侵略が成功したとしても、引き続いて(危険を犯し、多大な軍事力を投入し、長い年月を費やして)海を渡って日本列島を侵略することは、侵略対象選択の優先順位としては低かったのではないかと考えられます。 



2-3 それにしても、「侵略によって、ユーラシア大陸でロシアの勢力が無限に拡大する」のを、放置していてもよかったのかという心配は残るかも判りません。

① 「欧米帝国主義列強の競合(競合の結果、日露戦争の10年後に第一次大戦勃発)、 侵略地域の抵抗運動・抵抗戦争、 (フランスの借款を当てにしなければ日露戦争やシベリア鉄道建設も出来なかった)低い資金力、国内の革命運動」などを考えれば、ロシアが、無制限に領土拡張戦争を続けられると考えることは、現実的では無いように考えられます。

② 上記2-1④で述べたように、ドイツの台頭を警戒するフランスは、「資本供給先のロシアが極東の戦争に深入りする」ことを望んでいませんでした。

③ ロシアは、日露戦争完勝の場合でも、満州のみが利益になるのであって、日本や朝鮮からの利益を期待していません。豊かでない日本への侵略に深入りして得することは無いという判断は、ロシアも(資本供給元の)フランスも共通していたと言えます。



3.ロシア帝国は、「日本列島侵略」を考えていたのか? 

3-1皇帝ニコライ2世の構想
ニコライ2世は、壮大な侵略計画を持っていましたが、彼の構想の現実性は、臣下から夢想視され必ずしも支持・信頼されていなかった模様です。そして、日本はそのような侵略計画の対象でさえなかったのです。

「日露戦争研究の新視点」成文社  日露戦争研究会編 
p.81 
【 1903年2月29日、クロパトキンは日記に次のように記した。

「私は、ヴィッテに次のように話した。わが皇帝陛下は、頭の中に壮大な計画をお持ちだ。

ロシアのために満州を獲得し、ロシアに韓国を併合する。自己の版図のもとに、チベットも獲得する事を夢見ている。ペルシャを獲得し、ボスポラス海峡だけでなくダーダネルス海峡も占領する事を望んでおられる。

我々大臣はといえば、現地の状況に応じて、陛下の夢想の実現を引きとどめている・・・・」 】



3-2 ロシア指導層の認識

ニコライ二世をはじめとする指導部の中に、少なくとも「日本列島を侵略の対象」とする見方は無く
日露戦争で勝利を収めた場合の想定でさえ、ロシア帝国首脳が考えていた処置は、最大限次のようなものでした。

①.日本の艦隊保有禁止
日本列島そのものの支配は考慮されていません。
また、敗北した日本から十分の賠償を得る事は事実上不可能としていました。
②.満州・朝鮮の支配
朝鮮は、経済上無価値で、占領支配すれば巨額な資金を要するとして、経済的には大きな魅力を感じていませんでした。
③.清国への支配力の強化

注-1:
日露開戦前の陸相で日露戦争中満州軍総司令官を務めたクロパトキンの認識

開戦の8ヶ月前の1903年6月に陸相クロパトキン大将が来日しています。


寺内正毅陸相との会談では、クロパトキンは「予は武官なり、日本より戦を開くに於いては、300万の常備兵を以って、日本を攻撃し、東京を手裡に入れん。」

と述べるなど強気の発言が見られますが、


「日本を攻撃し、東京を手裡に入れん」という発言も、「日本より戦を開く」場合の想定です。
しかも、この発言は、(当時としては仮想敵の)日本軍首脳を相手とした場合の、ロシア軍人として必勝の信念を吐露したという印象です。

全体に、好戦的という印象は有りません。

注-2.
ロシア軍エリート将校の認識の一例

ロシア海軍が日露戦争後作成した「千九百四・五年露日海戦史」の中の「海軍の作戦計画担当者が作成した覚書」の中には

「日本を撃破するのみにては不十分であり殲滅すべし」との好戦的記述が見られます。

それにもかかわらず、日本に対する戦勝の結果として、「日本の艦隊保持権喪失」と「朝鮮占領」は想定されていますが、日本列島占領には、言及されていません。




3-3. 革命後のソ連

革命後ソ連は、満州事変の時点で、ソ連の権益範囲の北満を関東軍に軍事占領されても中立宣言して介入せず、ソ連の権益の根幹である東清鉄道も日本へ売却しました。

その後、日本へ不可侵条約を提案する等 日本に対し低姿勢を続けていました。

その一方で、極東における軍備は急ピッチで増強を続けました。                                   その結果、極東ソ連の軍備は対日優位(独ソ戦初期のみは同等程度)を維持し続け、日本にとってソ連は常に脅威であり続けました。

1945年の対日参戦以前の段階で、日本列島を侵略する意思があったとは、とても考えられません。

近代日本が、日本列島の専守防衛に徹していた場合、ソ連と日本列島との関係も、上記Ⅰ.前書に要約した想定が、ほぼそのまま当てはまり、ソ連による侵略はなかったと考えられます。



4.日本側の情報収集

上記3.のロシア側の判断を、日本側指導者層は、どの程度掴んでいたのでしょうか。

情報収集活動としては、日露の外交官・軍人間の交渉・意見交換・交流や、英米その他の国からの情報、外交官・軍人による諜報活動などがありました。 

日本側は、ロシアの日本に対する意識を把握していました
ロシア宮廷内の勢力争いにも精通し、   会談の情報も把握するなど情報収集は活発に行われていました。
「海を越えて日本列島を侵略」する意思がロシア側に有るか無いか判断できる程度の情報は、把握できていたと考えられます。(重要な会議の情報・軍艦など建造状況視察・宮廷内権力争いの情報 等々)

ロシア指導層による旅順会議(1903年7月1-10日)の詳細な情報収集や、日本側外交官が、失脚した政治家(ヴィッテ)とも面会して論議を行っているなど情報収集は相当活発に正確に行われてました。



5. シベリア鉄道開通前後(日露戦争前後)日本の指導者たちは、「ロシアによる日本列島侵略」の可能性を、どう見ていたか。


5-1. 日露戦争当時の総理大臣 桂太郎(陸軍大将)は、次のように述べています。

「史伝 伊藤博文」 下 
p.261
【 桂は自伝にこう書いている。「予は、最初より露国と戦わざるを得ざるを決心しおれり。その故は・・・」

ロシアが満州を握るなら、日本は南北にのびた地形からも国防上朝鮮半島を確保しなければならないが、ロシアの側からすれば朝鮮半島に日本軍がいては、いつ鴨緑江を超えて側面攻撃を受けるかわからないから、これまた朝鮮半島を日本の自由にはさせられない。

つまり、「彼(ロシア)には是非朝鮮を略取するの必要あり、我においてもまた彼に朝鮮を譲ること能わざるの理由あり。到底談判を開始せんとせば、戦は最初において決心しおかざるべからず。」・・】



少なくともこの時点で、桂太郎は、「ロシアは、『朝鮮は、満州を日本から防衛するための拠点』と認識している」と考えていたといえます。 

桂が、「日本がロシアから侵略される」と認識していた可能性は殆ど無いと思いますが、「無い」と断定はできません。


5-2. 満州を占領したロシアの勢力が、最終的に日本本国に及んで自衛上の脅威となると認識している人々がいました。

日露開戦の半年前の1903年6月、東京日日新聞は、東京帝国大学の七博士連名の意見を掲載しました。

「日露戦争が変えた世界史」  芙蓉書房出版 平間洋一著
p.35・36 
【「外交の失敗がドイツの青島租借を生み、それが遼東半島租借をもたらしたが、それは軟弱外交の結果であり、政府の責任である。満州を手に入れたロシアの次の目標は朝鮮であり、

若し朝鮮を取られたならば、次は日本である。ロシアの満州撤兵に断固たる態度を取らずに放置しているから、ロシアは兵力を増強しているのではないか。

開戦の決断を1日延ばせば、日一日と危急を加える。現在ならば戦力的に日本のほうが有利であり、政府はこの千載一遇の機会を失することなく、断固たる態度で臨むべきである。」】


「ロシアによる満州侵略を放置すれば、将来的に日本も侵略される」とする意見です。

しかし、「七博士の意見」には、以下のような批判があり、額面どおりに受け取るのは問題があります。

「日露戦争の世紀」  岩波新書 山室信一著
p.108 
【 (原敬は)「わが国民の多数は戦争を欲せざりしは事実なり。
政府が、最初七博士をして露国討伐論を唱えしめ、また対露同志会などを組織せしめて頻りに強硬論を唱えしめたるは、かくしてもって露国を威圧し、因てもって日露協商を成立せしめんと企てたるも、

意外にも開戦に至らざるを得ざる行きがかりを生じたるものの如し。・・・しかして、一般国民、なかんずく実業者は、最も戦争を厭うも、表面これを唱うる勇気なし。
かくのごとき次第にて国民心ならずも戦争に馴致せしものなり」(「原敬日記」1904年2月11日) 】



原敬は、「日本列島が侵略されるという認識は、その認識によって世論を硬化させ、露国を威圧し、日露協商を成立させようという意図による」としていますが、

これは谷干城の認識とも一致しており、七博士の「朝鮮を取られたら次は日本列島が侵略される」という認識が偽りであることを示しています。



6.日本では、「満州が、ロシアに権益を独占された場合、将来日本が侵略されないとしても、日本の生存が成り立たない」と考えていたか。

当時の日本では、満州がロシアによって独占されても、日本経済が立ち行かなくなるとは考えられてはいませんでした。
(日本は、満州以外の国との貿易も有り、満州との貿易がなくなるわけでもありません。)


経済界の見方

経済界は、ロシアの強大な軍事力に日本が太刀打ちできないと認識しながら、「日本列島への侵略の心配」も「満州へのロシアの侵略によって日本経済が立ち行かなくなることへの心配」もしているようには見えません。

ロシアの満州における独占的優位を予想していないとは考えられませんが、「日本の商工業の発展に好機を与える」としています。

「日露戦争の世紀」 岩波新書 山室信一著
著者略歴:京都大学人文科学研究所教授
p.107
【・・・・経済界にはロシアによる鉄道敷設や大連建設は日本の商工業の発展に好機を与えるものであり、日露を敵対関係に追い込んでいくのは誤りであり、

まして、日露開戦などは、「全く軍備・国力の平衡を無視し、ほとんど常識を欠き、心神を喪失したる狂妄者の言たらずんばあらず」(中田敬義「列強の実勢と日露の親交」『太陽』1903年1月1日)

という開戦反対論が主流でしたが、先行きの不透明感から市況が沈滞していったため、10月には開戦論支持に回ります。・・・・】



7.まとめ

この記事を総括して、「近代において、日本列島がロシアに侵略される可能性は、(殆ど)無かった。そして、日本の上層部の多くもそれを判っていた。」と判断しました。

(もちろん、100%とは言えません。それは、どのような問題でも言えることだと思いますが。)
2014/09/20

従軍慰安婦と朝日新聞誤報について-2

前回記事の補足として、国にどのような責任があったかを明確にしておきたい。

1. 朝鮮人従軍慰安婦に関し、国や軍の責任を否定する人々はつぎのような主張をしている。

1-1.「売春業者が勝手に売春婦を連れ歩いたのであって、国が責任を問われるような問題ではない。
1-2.「当時、日本国内・朝鮮のいずれにおいても、売春は合法だった。遊郭では、借金返済が終わるまで外出の自由がない場合が多く、逃げだせば私刑もあった。軍が慰安所設置を企画したとしても、世間と特別変わったことをしたわけでなく、責任を問われるようなことではない。



2. 上記に対する反論をまとめる。


2-1. 慰安所は、軍が「軍の都合」で企画し、出征した全部隊に配置をした施設である。

支那事変開始後、軍は、「現地女性への強姦による反日意識の高揚・街の売春婦からの作戦情報漏れ・性病の蔓延・兵士を慰安する施設がない」という状況を打開するため、慰安所の設置を企画した。

慰安所開設が本格化するのは、支那事変開始後、中支那方面軍の(書類による)指示を受け、上海派遣軍参謀(長勇中佐)が、中国の暗黒街のボスに女郎屋を設ける話を持ち掛け段取りをつけたという話が最初だったようである。(1937年12月 南京陥落直後)

参謀などが「兵100人に慰安婦1人」などと計算した例も少なくない。総ての部隊にまんべんなく配置したい軍の意思の表れである。広い占領地に均等に慰安婦を配置することは、(実際の慰安婦募集・慰安所運営にあたった)朝鮮人斡旋業者が仕切れるようなことではない。


2-2. 朝鮮人慰安婦は、日本国内の遊郭とはけた違いに過酷な状況に置かれていた

朝鮮人慰安婦は、(将校相手の)日本人慰安婦や日本内地の遊郭(13人/週 1937年統計)と桁違いに過酷な「日曜日ごとに50人前後の相手をさせられる」という状況に置かれていた。(前回記事参照)



2-3. 朝鮮人慰安婦は日本人慰安婦と異なり殆どが「素人の未成年者」であり、誘拐・だましなどの違法行為によって集められたものも少なくなかった模様である。

朝鮮における募集では、内地における「誘拐まがいなどの犯罪行為防止・未成年者保護」のような規制をしていない。

性経験のない(性病にかかっていない)未成年(体力がある)の女性を狙って集めたと疑われても仕方がない。それも、(陸軍省通牒で規制される以前の日本国内の状況からも容易に想像できるが)誘拐まがいなどで集められる可能性があることを承知の上で。

当時も、未成年者の売春は(日本も加入していた)国際法で禁止されていた。

「実際に集めたのは朝鮮人斡旋業者」の場合が多かった模様であり、業者の責任も当然追及されるべきではあるが、それはあくまで下請であり、全体を統括した国・軍に主たる責任がある。


2-4. 軍は、慰安婦を慰安所から逃亡できない状況においた。

朝鮮人慰安婦の過酷な状況を考えれば「辞める自由を認めたら慰安所制度が崩壊する」ことは容易に想像できる。軍は、慰安婦を(監視の有無を問わず)実質的に逃げられない状況においたと見なさざるを得ない

慰安所の運営は業者が行う例が多いようであるが、慰安所は部隊の内部に設置され、軍の監視下にあった。上記の防諜対策ということを考えても、外出が自由であったとは考えられない。(日本人慰安婦は別扱いだったかもしれないが。)




2-5. 総括

軍は、「治安・防諜・性病対策・兵士慰安」など軍の都合で、慰安所制度を企画し、(朝鮮人斡旋業者などを下請けとして使いながら)慰安婦を募集し、広い占領地へ万遍なく慰安所を配置し運営した。また、慰安所は軍の監視下にあり、外出の自由が認められる状況ではなかった。

要するに、慰安所制度は朝鮮人斡旋業者が勝手に動いて成立するようなものではなく、あくまで軍が主たる責任を負うべき問題である。

また、朝鮮人慰安婦の場合、日本国内の(合法的な)遊郭に比べ桁違いに過酷な状況に置かれていた。
朝鮮人慰安婦の場合、軍は違法な集め方が行われる可能性を承知の上で未成年者(国際法違反)を主体として集め、一部には挺身隊からの選抜もあった。

これを要するに、国・軍は、朝鮮人慰安婦に関し、主たる責任を問われるべき立場にあると言わざるを得ない。
2014/09/12

従軍慰安婦と朝日新聞誤報について

2014年8月5日、朝日新聞が従軍慰安婦に関する吉田清治の「奴隷狩り」でっち上げ情報の報道について誤報と認めた。そして、9月11日に至って、ようやく朝日の社長が謝罪した。

吉田清治証言は、1996年1月の国連人権委員会報告書「クマラスワミ報告」に引用されているが、朝日新聞がそれを知らないはずはなく、誤報であると公表していれば、その引用を阻止することもできたはずである。

朝日への嫌悪感が広がって、購読中止が増えているという。自業自得と言えるが、しかし、その結果として(右側の)読売・産経新聞が国内の主流紙になってしまってよいかという心配もある。毎日新聞あたりに頑張ってもらいたいものである。

朝日報道を誤報と指摘した秦郁彦氏は、次のように述べている

毎日新聞 2014/9/11 p.7
慰安所における慰安婦の生活は「性奴隷」と呼ぶのがふさわしいほど悲惨なものだったか。慰安婦は兵士の数十倍の収入があり、廃業帰国や接客拒否の自由もあった。それを示す米軍の資料も残っています。(秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」p.275-276か?)


そういうことも有り得るとしても、私の近所に住んでいた元京都16師団輜重兵大隊の兵隊だった爺ちゃんの話とは様子が違う。それは次のようなものである。

大隊800人の兵隊に対し、慰安婦8人。内訳は、日本・朝鮮・中国・フィリピン。慰安婦のうち、朝鮮人慰安婦は挺身隊の中から強制選抜された若い女。兵隊は、2週間に一回日曜日に、コンドーム2個ずつ渡されて外出許可。


娯楽施設も何もない戦地で、元気の有り余った若い男(今どきの植物性男子とは違う)がこの状況に置かれたらどうするか。

コンドームを2個使っても不思議ではない。であれば、慰安婦は日曜日ごとに延べ100人相手をすることになる。実際には利用しない兵隊もいたらしいから、話半分の「延べ50人」としても半端な数ではない。

慰安婦が相手にさせられた人数を示す資料がある。

参考
(秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」p.404)
サックの使用量と慰安婦の関係について、実績数値が判明しているのは、1942年の上海地区(陸軍)である。140人の慰安婦が1か月約4.3万個を使用している・・・・・

この数値から慰安婦一人当たり307個/月 ⇒ 3684個/年 ⇒ 毎週72個という数値が導かれる。日曜ごとに兵隊が利用するとすれば、日曜ごとに慰安婦一人当たり延べ72人相手をしたことになる。上記想定50人を上回る。リアリティがある。

これは内地の遊郭(娼妓一人当たり655.7人/年。12.9人/週 1937年。下記注)に比べ桁違いに過酷と言える。

注  (秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」p.402)

1937年の娼妓4.7万人と遊客3082万人・・・・・・

過酷さを実感できない人は、自分の身近にいる女性(母・姉妹・妻・娘・同級生など)に聞いてもらいたい。「金がもうかったら、やってみるか。」と。

様々な慰安婦関係の書籍(秦郁彦氏著書を含め)を通じて、朝鮮人慰安婦の殆どは未成年者だったという記述がある。多くは初心な処女だったはず。

ちなみに、日本人慰安婦は、「遊郭の出身者、21歳以上」と内務省通達で規制されていた。そして、通常、将校相手、即ち一日当たり相手をする人数は桁違いに少なかった。すなわち、朝鮮人慰安婦に比べて、慰安所に入ったときの衝撃度は桁違いに小さかったと言える。

退職の自由があれば、未成年の女性がこのような過酷な状況に置かれると判ったら、慰安所に到着した時点で即座に退職するはずではないか。逃げられない状況(中国奥地などであれば、監視がなくても逃げようがない)に置かなければ慰安所制度は崩壊する。

(身売り・だまし・強制連行のいずれであろうと)慰安所に入ったら出られない過酷な状況にあったとみるのが自然ではないか。

慰安所へ来る方法は多様でも、実質的に監禁状態で、(遊郭と比べ桁違いに)多数の兵隊の相手をさせられる過酷な状況に置かれたことが、従軍慰安婦問題の本質ではないか。

植民地支配する日本の軍隊の性欲を満たすために(朝鮮人斡旋業者が関わったとはいえ、親による身売り・だましも少なからずあったとはいえ)多くは未成年であった多くの朝鮮人女性が、慰安所で実質的な監禁状態で過酷な生活を強いられたことは、朝鮮・韓国人にとって耐えがたいことであると言える。

朝日新聞の「裏付けを怠った誤報と訂正や謝罪の遅れ」は、その影響を考えると許しがたいが、他方、従軍慰安婦の過酷な状況を生んだ日本は責任を直視しなければならない。国は、詳細な実態把握のため、慰安所の管理にあたった憲兵・軍医、利用した将校・兵隊など生存者から聞き取り調査をすべきである。
2014/07/19

投稿休止ご連絡

ご愛読有難うございます。
誠に勝手ながら都合により「2014年9月5日」分まで投稿休止と致したくよろしくお願いします。次回投稿は、9月12日となります。今後ともご愛読の程何卒よろしくお願い申し上げます。
2014/07/13

日中関係と日本の安全保障 -8

「日中関係と日本の安全保障」のまとめ (2014/7/19 2014/9/14 改訂)

「日中関係と日本の安全保障」のポイントは、端的に、「近年顕著になった中国の大国意識」への対応ということになる。



1.華夷意識に基づく大国意識が強まっている

習近平国家主席の率いる共産党新指導部が「中華民族の偉大な復興」を宣言し、2012/11/15にスタートした。

(太平洋を米中で二分したいと)アメリカに対し、新しい2大国関係を求めている

「2000年前から南シナ海を管轄してきた」として、南シナ海の殆どを中国の領海と主張している。





2.中国の大国意識(上記)への対応
より具体的には、次のようになる。

2-1.少なくとも質的には中国を上回る軍事力を保有する必要がある

(総力戦でなく)小競り合い規模であれば、質がものを言う。

少なくとも中国と同等程度の質を維持できれば、なめられることは無い。(中国は、弱いものを蔑視する傾向が強い)

軍事レベルを対中優位に保つため、米欧との共同研究開発も必要になる。
特に中国海軍を抑止する兵器(例:空母を対象とする対艦弾道ミサイル)が重要ではないか。


2-2.周辺国と連携して中国に対処する。

前提として、歴史認識などで周辺国から不信感を持たれないような心掛けが必要である。

日米同盟は、「”アメリカの戦争”に利用されないようにしながら、対中抑止に利用する」ことが必要であろう。

多くの日本人が「日本は憲法九条があるから戦争できない。だからアメリカに守ってもらう。その代わり、基地を貸す。」という(平和憲法の精神とかけ離れた)甘ったれた無責任他力本願意識を持っている。この意識は払しょくする必要がある。

安保条約のポイントを「日本領内において、日米両軍はいずれか一方が攻撃を受けた場合、相互に防衛を行う。」と変更し完全な双務条約にする。表現は検討を要するが。

例えば「自衛隊によって領土領海領空が守られる日本国に、アメリカは基地を置くことができる。在日米軍は、自衛隊が攻撃を受けた場合、共同で防衛にあたる。」

集団的自衛権に関する論議の中で、「アメリカの若者が日本を守るために血を流す覚悟をしているのに、「米艦の警護」など米軍を守るために日本人が血を流さなくてよいか」という主張が行われている。

しかし、実は、現在も「日本の領空領海領土を守ることによって、結果として自衛隊員は血を流す覚悟で在日米軍を守っている」のであり、安保条約はほぼ双務条約に近いのである。

注:本来、在日米軍は日本国を防衛するために駐留しているのではなく、世界中に存在するアメリカの権益を守るための拠点として日本を利用しているに過ぎない。


集団的自衛権行使可能とすることは、アメリカの戦争に利用されることになるので、否定しなければならない。

アメリカと折衝した経験を持つ元防衛官僚(小池・加茂市長)は、「軍事的経済的覇権を持つアメリカの派兵要求は現実に拒否できない。平和憲法が、派兵を断る唯一の盾だった。」と言っている。

 



周辺国と連携した宣伝活動(下記2-3-2.参照)も積極的に行うべきである。

第二次大戦前後の「ナチスドイツと周辺国」の関係も一つの参考になると思う。それは、将来中国が周辺国へ大々的な軍事侵攻をするという意味ではない。中国が増長しないように、周辺国が協力してその都度毅然とした(場合によっては軍事的対応も含め)対応をすることが必要だという意味においてである。

チャーチルは「第二次大戦回顧録」の中で「第二次大戦ほど予防が容易な戦争は無かった。」と述べている。

即ち、ラインラント進駐・オーストリア併合・チェコのズテーテン地方割譲・ポーランド侵攻(第二次大戦勃発)という一連の動きの中で、安易に妥協せず、その都度毅然たる動きでヒトラーの攻勢を阻止していれば、(当初、軍事的裏付けのないはったりで勢力拡大を図った)ヒトラーは挫折し、「5000万人とも言われる第二次大戦の大被害」には至らなかったというのである。




2-3.宣伝活動を積極的に行う

2-3-1.「日本は、(中国より小さいが)良い国」であることを宣伝し、中国人に価値観の比較検討を迫る。

平和・公正・快適な社会の実現をめざす努力を継続し、その結果を経済交流・観光旅行・NETなど様々な手段を通じて中国へ宣伝することにより、親日派の勢力を勢いづけ、中国国内の反日世論(対日戦意の根源)を緩和させる

(国際的マナーに無知で、英雄気取りで危険な行為をすると言われる)空軍軍人などの日本招致も有効であろう。

少なくとも「中国国内の思い上がった大国意識や過激な反日意識や反日行動」を冷却させる工夫が必要である。


宣伝する項目は次のようなものである

①.日本は、憲法九条で「戦争と戦力保有」を禁止している。

「憲法の戦力保有禁止」は世界の現状に適合しないので、「専守防衛の軍隊」は憲法で認めるべきであるが、そうすると(アメリカの戦争に利用される場合も含めた)海外派兵への突破口に利用される恐れがあり、憲法は改正しないほうがよい。


②.戦後68年間、(憲法に違反する)世界トップレベルの軍備を保有しながらも、戦争をしなかった「平和志向」の実績がある。

現在の自衛隊は、「憲法で保有を禁止された戦力」と言えるが、専守防衛を前提として多くの国民が合憲とみなしている組織である。

領土問題を巡って韓国やソ連と戦争もせず、アメリカのベトナム戦争やイラク戦争に参戦もしなかった。

日米安保がなかったら、ソ連に侵略されたであろうか? 
ソ連は極東地域の経済発展のため、(歯舞色丹の返還で)日ソ国交回復を望んでいた。

「安倍首相の靖国神社参拝や『侵略の定義は未確定』発言」などは、日本の長年にわたる平和主義の前提である歴史認識を覆し、周辺国に日本の平和主義を疑わせることになる。止めなければならない。


③.戦後の日本は軍国主義国家ではない。

軍事組織は「専守防衛の自衛隊」である。

武力行使に当たっては様々な制約がある。

注:中国では、今でも日本は軍国主義だと思っている人が多数を占める。



④.日本は、1972年の日中国交回復以降、対中援助を続けてきた

「中国の戦争賠償放棄を受け、日本は、その代わりにODA(無償3000億円・有償3兆円)を含め官民で対中支援を行い中国経済復興を支えた」ことが中国では知られていない。



⑤.社会全般に高い道徳観念が行き渡っている

拝金主義でパクリが公然と横行する中国と違い、コツコツと努力を積み重ねる風土がある
日本は中国に比べ昔から賄賂が通用し難い法治国家である



⑥.日本は、中国に比べ快適な社会環境がある

社会保障が充実している
清潔・安心・安全・正確な社会である
思いやりの文化が根付いている



⑦.日本は、技術レベルが高く、中国との経済関係も大きい。

コツコツと努力を積み重ねる風土がある


2-3-2.中国の横暴な行動を世界へ発信する

周辺国と連携し、中国の漁船・巡視船・戦闘機などの横暴な行動を動画にしてリアルタイムで世界へ発信する。

また、中国の海外活動に関するドキュメンタリー映画の製作・配信なども積極的に行うべきである。

撮影・発信機器などは日本が周辺国へ援助し、総ての漁船に配備するくらいの投資をしてもよいのではないか。