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2008/02/02

「南京大虐殺」本当は、どうだったのか 2

ラーベの日記について(2)  
国際安全区の成立・南京陥落までの中国軍の状況

今回の記事では、陥落までの南京の状況を、抜粋転記します。
非戦闘員を戦闘の被害から守るための国際安全区 の設置、その提案を拒否しながらも意外に協力的な日本軍の反応、安全区の条件を満たす為の「軍事施設と軍隊の撤退」にルーズな中国軍
これらの状況が冷静・率直に記載されています。

注:安全区へ落下した日本軍の砲弾は、2発(死者25名)でした。(下記12月11日) 南京城のほぼ中央に位置し、その面積の約10%を占める安全区への砲弾の落下が2発ということは、この時点で、日本軍は安全区を尊重していたといえるでしょう。(占領地に於ける日本軍による民間人への残虐行為を考えれば、)国際世論の力が無効では無かったことを示していると思います。



11月19日
・・・・・国際委員会が発足した。主要メンバーは鼓楼病院のアメリカ医師、それから金陵大学の教授たち。全員宣教師だ。難民区を作ろうというのがその目的だ。

つまり、城壁の中、あるいは外に中立地域をつくり、万が一砲撃されたとき、非戦闘員の避難所にしようというのである。

いっしょにやらないかといわれた。私がここに残るというのはすでに噂になっていたのだ。

私は承諾し、スマイス教授の家で開かれた夕食会で、アメリカ人の参加者全員に紹介された。

11月22日
・・・・・17時に、国際委員会の会議。南京の非戦闘員の為の中立区域設置の件。私は「代表」に選ばれてしまった。辞退したが押し切られた。良いことをするのだ。受けることにしよう。どうか、無事つとまるように。責任重大だ。

ドイツ大使が船で帰る直前、委員会の事務局長のスマイス教授を紹介することができた。大使は委員会から日本大使にあてた電報を読んで同意してくれた。これはアメリカ大使館の無線を通じて、上海のアメリカ総領事館から発信される。
イギリスとアメリカの大使にはすでに承認してもらった。・・・・・・英語の電報の内容は要約すると次のようになる。

デンマーク、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国の各国民によって構成される当委員会は、国民政府と日本政府に対し、南京市内ないしはその近郊で戦いが勃発した場合にそなえて、難民のために安全区の設置を提案する。

国際委員会は、次の点を国民政府に保証してもらうことを約束する。軍事交通局をふくむあらゆる軍事施設を「安全区」から撤退させ、非武装地帯とし、ピストルを装備した民団警官のみを置く。また、その場合、すべての兵士及びあらゆる階級、身分の士官の立ち入りは禁止される。

国際委員会は、これらが遵守され、滞りなく遂行されるよう配慮する。
国際委員会は、日本政府が人道的理由から安全区を尊重するべく配慮してくれるよう願っている。そのような慈悲深い措置こそ、責任ある日中両国政府の名誉となると信ずる。

国民政府との交渉をできるだけ早く成立させ、難民保護のために必要な準備を整えられるよう、日本当局の速やかな回答を切望する。


11月25日
・・・・・昨日ラジオで聞いた上海からのニュースによると、日本軍司令部が、南京に非戦闘員用中立区域をつくりたいというわれわれの申し出を好意的に受け入れたとのこと。だが、公式の回答はまだだ。・・・・・・

・・・・・今日、つぎのような電報を打つつもりだ。

在上海ドイツ総領事館。
党支部長ラーマン殿。次の電報をどうか転送してくださるようお願いします。

総統閣下

末尾に署名しております私ことナチ党南京支部員、当地の国際委員会代表は、総統閣下に対し、非戦闘員の中立区域設置の件に関する日本政府への好意あるお取りなしをいただくよう、衷心よりお願いいたすものです

さもなければ、目前に迫った南京をめぐる戦闘で、二十万人以上の生命が危機にさらされることになります。
ナチ式敬礼をもって。      ジーメンス・南京  ラーベ


・・・・・たったいま杭立武さんが、安全区の件で中国政府から了解を取る必要はないと教えてくれた。蒋介石が個人的に承諾してくれたというのだ。・・・・・

11月29日
・・・・・十八時。イギリス文化会館で定例会。そのとき、市長が国際委員会の発足を正式に発表した。私はいった。我々はすべての大使館から道義的な理由によって支持されており、・・・・・・・

12月2日
フランス人ジャキノ神父を通じ、我々は日本から次のような電報を受け取った。ジャキノは上海に安全区をつくった人だ。

電報 一九三七年十二月一日 南京大使館(南京のアメリカ大使館)より
十一月三十日の貴殿の電報の件
以下は、南京安全区委員会にあてられたものです。    ジャキノ

日本政府は、安全区設置の申請を受けましたが、遺憾ながら同意できません。中国の軍隊が国民、あるいはさらにその財産に対して過ちを犯そうと、当局としてはいささかの責も負う意思はありません。

ただ、軍事上必要な措置に反しないかぎりにおいては、当該地区を尊重するよう、努力する所存です。」


ラジオによれば、イギリスはこれははっきりとした拒絶と見なしている。だが我々の意見は違う。これは非常に微妙な言い方をしており、言質を取られないよう用心しているが、基本的には好意的だ。

そもそもこちらは、日本に「中国軍の過ち」の責任をとってもらおうな土とどとは考えていない。結びの一文「当該地区を尊重するよう、努力する所存・・・・云々」は、非常に満足のいくものだ。

12月3日
・・・・・防衛軍の責任者である唐が軍関係者や軍事施設をすべて撤退させると約束した。それなのに、安全区の三ヵ所に新たに塹壕や高射砲台を配置する場が設けられている。・・・・

12月4日
どうにかして安全区から中国軍を立ち退かせようとするのだが、うまくいかない。唐将軍が約束したにもかかわらず、兵士たちは引き揚げるどころか、新たな塹壕を掘り、軍関係の電話を引いている有様だ。・・・・・

12月5日
・・・・アメリカ大使館の仲介で、ついに、安全区についての東京からの公式回答を受け取った。

やや詳しかっただけで、ジャキノ神父によって先日電報で送られてきたものと大筋は変わらない。つまり、日本政府はまた拒否してはきたものの、できるだけ配慮しようと約束してくれたのだ。

ベイツ、シュペアリングといっしょに、唐司令長官を訪ねた。なんとしても、軍人と軍の施設をすぐに安全区から残らず引き揚げる約束をとりつけなければならない。それにしてもやつの返事を聞いたときのわれわれの驚きをいったいどう言えばいいのだろう!

「とうてい無理だ。どんなに早くても二週間後になる」だと?そんなばかなことがあるか!それでは、中国人兵士を入れないという条件が満たせないではないか。そうなったら当面、 「安全区」の名をつけることなど考えられない。せいぜい「難民区」だ。

委員会のメンバーでとことん話し合った結果、新聞に載せる文句を決めた。なにもかも水の泡にならないようにするためには本当のことを知らせるわけにはいかない・・・・・。

・・・・・・われわれは、必死で米や小麦粉を運び込んだ。安全区を示す旗や、外にいる人たちに安全区のことを知らせる貼り紙もできている。だが、肝心の安全性については最低限の保証すら与えられないのだ!

ローゼンはかんかんになっている。中国軍が安全区のなかに隠れているというのだ。ドイツの旗がある空き家がたくさんあり、その近くにいるほうがずっと安全だと思っているからだという。そのとおりだと言い切る自信はない。

しかし、今日、唐司令長官と会った家も安全区のなかだったというのはたしかである。

12月8日
・・・・・われわれは全力を挙げて安全区を拡張しているが、何度も何度も中国軍がくちばしをいれてくる。いまだに引き揚げないだけではない。それを急いでいるようにもみえないのだ。・・・・・

・・・・われわれは、みなおたがい絶望しかけている。中国軍の司令部にはほとほと手を焼く。せっかく掲げた安全区の旗をまたもや全部持っていかれてしまった。安全区は縮小されることになったというのだ。

大砲や堡塁の為に予備の場所がいるからだという。どうするんだ?そうなったら、何もかも水の泡になってしまうかもしれないじゃないか。日本にかぎつけられたらおしまいだ。おかまいなしに爆撃するだろう。

そうなったら、安全区どころか場合によっては大変な危険区になってしまう。明日の朝早く、境界をもう一度調べてみなければ。こんな汚い手をつかわれるとは・・・・・。予想もしていなかった。

すでに11月22日に、ここは国民政府から正式に認められているというのに

12月11日   8時
・・・・・爆音をものともせず、道には人があふれている。この私より「安全区」を信頼しているのだ。ここはとっくに「セーフ」でもなんでもないのだが。

いまだに武装した兵士たちが居座っているのだから。いくら追い出そうとしてもむだだった。これでは、安全区は非武装だと日本軍に知らせたくともできないじゃないか。

        9時
ついに安全区に榴弾が落ちた。・・・・12人の死者とおよそ12人の負傷者。・・・・さらにもう一発、榴弾(こんどは中学校)。死者13人。軍隊が出て行かないという苦情があとをたたない。

12月12日
・・・・中国軍隊がまだがんばっている。・・・・もはや唐将軍の命令に従わなくなってしまったらしい。これでは安全区から軍隊を追い出すなど、とうていむりだ。・・・・

      18時半
・・・・南部から逃げてくる人たちが、安全区を通って家へ急ぐのが見える。その後ろから中国軍部隊がぞろぞろつづいている。日本軍に追われているといっているが、そんなはずはない。いちばんうしろの連中がぶらぶらのんびり歩いているのをみればわかる。

・・・・・それはともかくとして、日本軍がもう城門の前まで攻めてきていること、したがって最終戦が目前に迫っていることは、もはや疑いようがない。・・・・・
       
       20時
・・・・夜の9時に龍が内密で教えてくれたところによると、唐将軍の命により、中国軍は今夜9時から10時の間に撤退することになっているという。後から聞いたのだが、唐将軍は8時には自分の部隊を置いて船で浦口に逃げたという。