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2009/03/27

北朝鮮の人工衛星発射

「人工衛星発射」の無謀

北朝鮮の核実験を受けた国連安全保障理事会の決議(2006年)は、「弾道ミサイルに関するすべての活動の停止」を求めており、人工衛星といえども、弾道ミサイルと同じ機能を有することは常識であり、決議に違反することは明白です。

また、上空を通過される日本の立場から言えば、

「正常に飛行すれば、領空(「領空は高度10万m以下」とするのが、領空の定義の主流?)よりも上を通過する模様(1998年の実績から推定)であり国際法上問題ない」と言えなくはありませんが、

失敗して予定外の場所に墜落する可能性も少なくありません。(2006年のテポドン2の場合、発射直後に墜落したはず)

金正日体制の無謀さを表しています。



動機

(従来のブッシュ政権と異なる方針が見られないことから)オバマ政権への期待が外れたことに関連しているように思えます。

オバマ氏の大統領当選時点では、その2日後に発表しており「2000年は結果の確定から5日後、2004年は投開票から7日後」(asahi.com 2008/11/8)に比べ短期間であり、この時点では金正日がオバマ大統領に期待を寄せていたと言えそうです。

しかし、来日したクリントン国務長官が拉致被害者家族会のメンバーと面会した際に「北朝鮮は残酷な国で理解できない状況だ。」と語る(2月17日)など、北朝鮮に対して良い印象を持っていないことは明白です。

このほか、「ミサイル技術輸出のための宣伝を狙っているとも、金正日体制の威信のためとも言われています。



安全保障と関係なし

反共で定評のある読売新聞も含め、新聞紙上、「日本への軍事的脅威」との認識を示していないのが意外でもありますが、これが妥当な判断のようです。

毎日新聞は「米国の注意を引き付けて交渉のテーブルに誘い出す狙い(毎日新聞2009/2/25)」「アメリカに核軍縮交渉を迫るため(毎日新聞2009/3/24)」など、アメリカとの交渉によって「恐怖・貧困から脱出」することを意図していると見ています。

「反共」で定評のある読売新聞も『・・・・4月4~8日に・・・・最高人民会議(国会に相当)第12期の第1回会議が有る。・・・金正日国防委員長の「3期目」が正式にスタートする・・・・・・・・・・実質的にはミサイル発射となる「人工衛星打ち上げ」成功を会議開幕に合わせて劇的に演出し、「祝砲」にする思惑のようだ。・・

・・・核・ミサイル問題ともに米国との交渉を目指す北朝鮮としては、「あと一押し」で直接交渉にこぎ着けると踏んでいるわけだ。・・・・・』(2009/3/13)と、日本の安全保障上の問題ととらえていません。



発射をやめさせる対策

名案は有りません。



撃墜について

少なくとも、日本領土内へ「本体やブースター」が墜落する場合に(SM3やPAC3で)撃墜するのであれば、朝鮮も文句のつけようがないはずです。 

しかし、政府はこの件を利用して政権浮揚につなげたい思惑があるとも言われており、踊らされない冷静さも必要。





今後、目指すべき方向

日米と北朝鮮との関係は、「94年10月の北朝鮮の核開発凍結をうたった枠組み合意」や「日朝平壌宣言」が、その目指すべき方向を示していると思います。

「枠組み合意」が破たんしたことについては、北朝鮮よりアメリカ側に大きい責任があり、北朝鮮だけを悪者扱いすることなく謙虚に協議が進められるべきだと思います。

また、最近(3月9日から20日)実施された米韓合同軍事演習の期間は昨年の2倍となっており、米原子力空母が北朝鮮の沖合で戦闘機の発着訓練を行うなど「人工衛星発射への牽制」のつもりかもしれませんが、「金融封鎖と核実験」の例も有り、逆効果だと思います。

「北朝鮮が困った独裁国家」であることは確かですが、アメリカの動きに問題のあることも少なくなく、冷静に見てゆく必要があると思います。

迎撃ミサイルシステムの整備(いずれ、対北朝鮮にとどまらず中国のミサイル迎撃へとエスカレートする可能性大)に注力するのでなく、(それが要らなくなるような)上記した緊張緩和の方向へ努力すべきだと思います。

2009/03/20

投稿休止ご連絡

ご愛読有難うございます。
誠に勝手ながら都合により3月20日分は投稿休止と致したくよろしくお願いします。(次回投稿は、3月27日となります。)
2009/03/12

[返還は4島]でない北方領土

【要約】

北方領土回収は日本国民の悲願です。
しかし、それは、北方四島でなく、千島列島全島でなければなりません。

「北方四島は日本固有の領土であり、領有権は放棄していない。だから、返せ。」という理屈には無理が有ります。領有権を放棄した証拠を提示されたら説得力を失います

戦前の日本では、国内・対外的ともに、千島列島とは、国後からシムシュ島までの20島を指していました。

サンフランシスコ平和条約(1951年9月8日調印)には、「千島列島・・・・・を放棄する」と記載されていますが、

ソ連占領下の千島列島に関し「領有権を放棄した千島列島に国後・択捉を含まない」のであれば、日本側としては記載すべき(国後・択捉を含まない)との文言が付記されておらず、20島全島の領有権を放棄したとしか考えられません。

ソ連も、「サンフランシスコ平和条約」に調印しておらず、また、南樺太・千島列島をソ連に譲渡する日ソ間の条約が結ばれたわけでも有りませんので、ソ連(その権利義務を継承するロシア)に、国際法上「南樺太・千島列島」を領有する権利は有りません。

樺太千島交換条約に規定された状態に戻すのが、最も恨みを残さない解決法だと思います。

【詳細】

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2009/03/06

尖閣諸島は日本領か-2

日本への領土編入とそれ以降


明治政府は、尖閣諸島を日本領に編入しようとしますが、「尖閣諸島は、昔から琉球の領土であった」という認識ではなく、そのような主張もしていません。 [無主の島」という建前でした。

また、清国内には尖閣諸島への領有意識があり、明治政府もそれを認識していました。
尖閣諸島から向こうは清国、宮古島からこちらは日本とすれば、最も無理のない判断であったと言えます。

しかし、日清戦争で勝利が確実になるのを待って領有を閣議決定します。

明治政府は「領有を決定した」ことを公表しませんでしたので、そのため清国も抗議する状況になく、「抗議しなかった清国には領有意識がなかった」と批判するわけにはいきません。

領有後、1969年までの間、中国は日本への抗議もせず、尖閣諸島を日本領と認める動きも有り、1969年に海底油田が発見されてから領有権を主張するようになったため、

「中国に領有を主張する権利は無い」とするのが日本国内の認識の最大公約数となっています。

しかし、「16~19世紀」における状況をみれば、「日中間で尖閣諸島が公式に問題になったのは1971年。それ以前、日本は中国から抗議を受けることなく実効支配を継続してきた。1971年以前のことは配慮不要。」

と主張することが適切とは考えられません。≫

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