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2007/09/07

反日運動の発火点「対華21ヶ条の要求」(1)

1.対華21ヶ条の要求の概要

1-1 
「対華21ヶ条の要求」の重大性  (要約)

日中戦争について、「中国の反日運動が原因・盧溝橋で中国共産党が発砲したから」などと様々な説が横行しています。

反日運動の重要ポイント「5・4運動」と、その原因「対華21ヶ条の要求」に言及されていなかったり、「大げさに取り上げるような問題でない」などと軽視する説も、見受けられます。

しかし、この「対華21ヶ条の要求」こそが、反日運動の原点であり、日中戦争の根本原因ではないかと思います。

また、「対華21ヶ条の要求」が取り上げられる場合でも、リアルな具体像が判りにくいように思います。私も、要求を地図に記入してみて初めてその重大性を認識しました。


日中関係にきわめて重要な関わりを持つ「対華21ヶ条の要求」が正確に認識されなければ、日中関係も、正確に認識できないのではないかと思います。出来るだけ詳細に説明してみたいと思いますので、ご一読頂ければ幸いです。

第1次大戦が始まった翌年、列強が欧州戦線へ力を集中している時期(1915年1月)に、日本政府は、革命中途の中国に対し、中国を属国にするような過大な要求「対華21ヶ条の要求」をおこないました。


1. 「中央政府への政治経済軍事顧問に日本人の招聘・警察の日中合弁・日本による兵器の供給」などで、中国への支配体制確立を狙い、

2. 「地域租借・不割譲要求地域・鉄道敷設権・鉄鋼企業の日中合弁化」などの要求は、「中国の資源を支配し、中国の利権を独占し、中国への軍事介入を容易にする」ことを狙ったと考えられる要求になっています。

この要求が、その後の中国における反日運動の出発点になり、日本が列強からも孤立していく出発点になりました。

詳細は、以下の記事をお読み下さい。


1-2
鬼の居ぬ間の「対華21ヶ条の要求」

第1次大戦が始まった翌年の1915年1月、日本政府は、中国の袁世凱政府に対し、中国を属国にするような過大な要求「対華21ヶ条の要求」をおこないました。

(注:「対華21ヶ条の要求」詳細は、『反日運動の発火点「対華21ヶ条の要求」(2)』へ。)


「外交資料 近代日本の膨張と侵略」 新日本出版社 山田朗編
p.106~107

【・・・・日本は、この五号21ヶ条からなる要求において、

第1号=山東半島におけるドイツ権益の継承、

第2号=関東州租借期限と満鉄権益の99ヵ年延長など、満州南部と東部内蒙古での日本の優越権の強化、

第3号=漢冶萍公司の日中合弁化、

第4号=中国沿岸の港湾・諸島の割譲・貸与の禁止、

第5号=中国政府の政治・経済・軍事顧問としての日本人の採用、などを求めた。・・・・】

(コメント)
この要求は、「軍部の思い付き」などでは無く、元老・政府・在野の要求の最大公約数が、閣議・元老の内諾・天皇裁可などの手続きをへて決定された「中国に対する日本帝国の総意」とも言うべき内容でした。



「戦争の日本近現代史」 講談社現代新書  加藤陽子著
著者履歴:東京大学大学院博士課程修了(国史学)・スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て、東京大学大学院人文社会系研究科助教授・専攻は日本近代史。
p.175
【・・・・第1号から第5号までの内容は、たしかに、元老・外務省・陸軍省などの政府、そして在野の要求の最大公約数であり、閣議決定、元老の内諾、天皇の裁可など、正式の手続きを経て起草されたものでした。

基本的には、確信をもって、みずからの欲するところを率直に表明した文書であったと位置づけられます。・・・】

(コメント)
これは、欧米列強が、第一次大戦で、アジアをかえりみる余裕が無い時期を捉えて行った行為であり、(慎重に友好関係を維持すべきアメリカや、同盟国イギリスの権益さえも侵す)過大な要求を行うことによって、(中国だけでなく)欧米列強からさえも日本への支持が失われる状況が生じました。



「外交資料 近代日本の膨張と侵略」 新日本出版社 山田朗編
p.106~107

【・・・・・アメリカは、英仏露に共同干渉を提案するにいたった(ただし、3国は拒否)。
日本政府は、袁世凱政府に対して、第5号の大部分を削除した最後通牒を発し、5月9日、中国側に認めさせた。

・・・・日米関係は悪化したものの、日本は1917年に「石井ランシング協定を結んでアメリカとの間で、中国における特殊権益の相互承認をおこなった。・・・・】

「大日本帝国の生存戦略」 講談社・黒野耐著  
著者履歴:元陸上幕僚監部調査部部員・陸将補・防衛庁防衛研究所戦史部主任研究官
p.176
【・・・日本の要求は、米国極東政策の根本を打ち砕く要素を持っていたため、中国が受け入れた時、ブライアン国務長官は、「米国と中国在住米国国民の条約権、中国の政治的・領土的保全、門戸開放政策を侵害するものは承認しない」と日本に通告した。

また、南支鉄道敷設権の要求は英国の既得権益を侵すため、グレー外相は第5号全体を撤回させた。そして、英国は米国と対日共同行動をとることは避けたものの、米国を激励して日本に対抗させたのである。・・・・・】

p.181~182
【・・・19年1月18日にパリで講和会議が開かれ・・・・・・米国は「対華21ヶ条の要求」以来、日本に大きな不信感を持っていたので、明確に中国の主張を支持した。

ウィルソンは、山東問題の取り決めのいかなる部分についても、賛成することは出来ないと発言し、反対の立場を鮮明にした。

・・・・大戦間の日本の行動には、英国も米国同様に不信感を持っていたので英国は山東問題に関する日本の立場を積極的に支持しなかった。

・・・・一応日本の主張が通ったが、日本が連合国間で孤立していたことが明らかになった。・・・・】




1-3
「対華21ヶ条の要求」の結末
「対華21ヶ条の要求」初期の時点で、イギリスの要求により第5号が撤回され、最終的には、ワシントン会議における9カ国条約(1922年2月)で旧ドイツ権益を中国に返還し、「満蒙特殊権益」は黙認されたものの第1次大戦中に拡大した中国での権益の大部分を失いました。
(元資料:「外交資料 近代日本の膨張と侵略」 新日本出版社 山田朗編 p.112)

「人の弱み(中国革命中途)・鬼の居ぬ間(第一次大戦)」に付け込んだ侵略的要求であり、また、イギリス(侵略勢力の大先輩)に抗議されて第5号をたちまち撤回するなど思慮分別の無さも感じます。

「取りあえず吹っかけて、文句が出たら引っ込めたらよい」と思っていたのでしょうか。

いずれにしても、このような要求が、その後の日中の対立の出発点になったことを、日本人は強く認識すべきだと思います。

「対華21ヶ条の要求」の内容詳細については、以下の記事を、お読み下さい。

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天皇。天皇および天皇家の御紋である。後鳥羽天皇の日本刀の御所焼に付した菊紋に始まる。天皇(てんのう)は日本古代からの君主の謚号および称号(君主号)。近年の説においては天皇号が成立したのは天武朝以降であるという見解が有力であるが、慣例として天皇号が使用され